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前向性健忘・逆向性健忘
説明
健忘を、発症時点を基準としてどちらの方向の記憶が失われているかによって分けた区分である。前向性健忘は発症以後に経験した出来事を新たに覚えられない状態を指し、逆向性健忘は発症以前に成立していた記憶を想起できない状態を指す。両者は同一の患者にしばしば併存するが、程度は独立に変動し、一方が重度でも他方は軽度にとどまることがある。
逆向性健忘には時間的勾配が認められることが多く、発症に近い時期の記憶ほど強く障害され、遠い過去の記憶ほど保たれる。この非対称性は Ribot が19世紀に記述したことから Ribot 則と呼ばれる。時間的勾配は、記憶が海馬をはじめとする内側側頭葉に依存する段階から、新皮質に分散して保持される段階へ移行していくという固定化(consolidation)の考え方の主要な根拠として使われてきた [1]。ただし勾配の急峻さは症例によって大きく異なり、障害が発症前の数年に限られる例から数十年に及ぶ例まで幅がある。病巣の広がりと逆向性健忘の及ぶ年数との対応も一定していない。
評価にあたっては、患者の「覚えていない」がどちらを指しているのかを最初に切り分ける必要がある。 前向性健忘は遅延再生課題で比較的容易に捉えられるが、逆向性健忘は標準的な記憶検査ではほとんど検出されず、自伝的記憶や公的な出来事に関する個別の聴取を要する [2]。逆向性健忘が前向性健忘に比べて不釣り合いに重い場合や、時間的勾配がはっきりせず遠隔記憶まで一様に失われている場合には、器質性以外の要因も検討の対象になる(解離性健忘の項を参照されたい)。
病巣
- 前向性健忘:海馬・海馬傍回、脳弓、乳頭体、視床前核および背内側核
- 逆向性健忘:内側側頭葉に加え、遠隔記憶については側頭葉外側部・前頭葉腹内側部の関与が想定される
- 内側側頭葉に限局した病変では逆向性健忘が発症前の比較的短期間にとどまりやすいとされるが、例外が多い
- 逆向性健忘の年数と病巣の大きさの関係については、一致した見解が得られていない
検査
前向性記憶の評価
- 言語性・視覚性素材の遅延再生
- 遅延再認
- 再生と再認の乖離の有無(想起の障害か記銘の障害かの手がかりになる)
逆向性記憶の評価
- 自伝的記憶の聴取(幼少期・青年期・近年など時期を分けて聴く)
- 個人的な事実知識と、時間・場所の特定できるエピソードを分けて聴取する
- 公的な出来事・著名人に関する知識を年代別に確認する
- 時間的勾配の有無の確認
健忘の選択性の確認
- 注意・作業記憶
- 手続き記憶
- 言語・視空間認知
分類上の論点
時間的勾配を固定化の証拠と読むことには留保がある。 遠隔記憶が保たれて見えるのは、古い記憶が繰り返し想起され再固定化されてきた結果であって、貯蔵場所の移動を意味しない、という解釈も提出されている [3]。またエピソード記憶と個人的事実知識では勾配の現れ方が異なるという指摘があり、「遠隔記憶が保たれる」という記述はどの水準の記憶を測ったかに依存する [2]。
臨床上重要なのは、時間的勾配の有無そのものよりも、前向性健忘と逆向性健忘の重症度の釣り合いである。両者が釣り合わない場合には、その乖離自体が鑑別の情報になる。
文献
- Ketonis PP, McClelland TQ, Parra D, Radvansky GA. Human retrograde amnesia and memory
consolidation. Psychon Bull Rev 2024;32(1):281-293.
(総説。PMID 39230835 / DOI) - Kopelman MD, Bright P. On remembering and forgetting our autobiographical pasts: retrograde
amnesia and Andrew Mayes's contribution to neuropsychological method. Neuropsychologia
2012;50(13):2961-72.
(総説。PMID 22884958 / DOI) - Montag D. Retrograde Amnesia - A Question of Disturbed Calcium Levels? Front Cell Neurosci
2021;15:746198.
(総説。PMID 34975406 / DOI)