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表情認知障害
説明
他者の顔に現れた情動を読み取ることの障害である。顔そのものの同定(誰であるか)は保たれているのに、その顔がどのような感情を表しているかが分からなくなる。相貌失認が「誰か分からない」障害であるのに対し、表情認知障害は「どう感じているか分からない」障害であり、両者は分離しうるとされている。
視力・視野が正常であっても生じ、患者が自ら訴えることはほとんどない。 本人は表情を見ているつもりでいるため、自覚的な困りごととしては現れず、周囲から「こちらが怒っているのに気づかない」「悲しんでいる人の前で平然としている」といった形で問題化する。したがって評価は本人の訴えからではなく、家族からの聴取と専用の課題によって始まる。
情動の種類によって障害の程度が異なることが知られており、とくに恐怖・悲しみ・怒りといった否定的情動の認知が障害されやすい一方、喜びの認知は比較的保たれる傾向がある [1]。この非対称性は、扁桃体が否定的情動、とりわけ恐怖の処理に関与するという知見と整合的に論じられてきた。
外傷性脳損傷を対象とした系統的レビューおよびメタ解析(15研究、患者群 N = 474、対照群 N = 461)では、患者群の表情認知成績が対照群より有意に低く、効果量は Hedges' g = 0.79 と中等度から大の範囲にあることが示された [1]。表情認知障害は外傷性脳損傷後に高頻度で生じ、しかも標準的な認知機能検査では捉えられない、という点でこの所見は臨床的に重要である。
病巣
- 扁桃体(とくに恐怖の認知)
- 右半球優位(右側頭葉、右頭頂葉)
- 眼窩前頭皮質・腹内側前頭前皮質
- 島皮質(嫌悪の認知に関与するとされる)
- 上側頭溝(表情の動的な変化の処理)
- 紡錘状回顔領域は顔の同定に関与し、表情の情動処理とは部分的に分離すると考えられている
検査
表情認知課題
- 静止画の表情から情動を同定する課題
- 情動の種類別の成績(恐怖・悲しみ・怒り・嫌悪・驚き・喜び)を分けて記録する
- 表情の強度を段階的に変えた刺激(モーフィング)を用いた閾値の評価
- 動画素材を用いた評価
顔認知そのものの評価(鑑別に必須)
- 顔の同一性判断(同じ人物かどうか)
- 既知の人物の同定
- 相貌失認の有無の確認
情動処理の他の経路の評価
- 声の調子(プロソディ)からの情動の読み取り
- 状況文から情動を推論する課題
- 視覚経路に限局した障害かどうかを確認する
基礎的な視覚機能の確認
- 視力・視野
- コントラスト感度(低空間周波数成分の処理が表情認知に関与するため)
関連機能の評価
- 心の理論
- 失感情症(自己の情動の同定)
分類上の論点
表情認知課題の成績低下が何を意味するかには幅がある。 課題は多くの場合、提示された表情に対して情動語のラベルを選ばせる形をとるため、情動語の意味理解が保たれていることが前提になる。また注意の障害や処理速度の低下も成績に影響する。高齢者を対象とした検討では、表情認知課題が社会的認知の評価として適切かどうか自体が問い直されており、課題の妥当性は自明ではない [2]。
表情認知障害を独立の症候として立てるか、社会的認知の一成分として扱うかも定まっていない。 情動的な心の理論の課題は表情や視線から心的状態を読み取ることを求めるため、表情認知の障害があれば必然的に成績が低下する [3]。両者を別々に測定し、表情認知が保たれているのに心的状態の推論だけが障害されているのか、それとも表情認知の段階で失敗しているのかを切り分ける必要がある。
行政的な「社会的行動障害」との対応については、脱抑制の項に置いた対応表を参照されたい。
文献
- Murphy JM, Bennett JM, de la Piedad Garcia X, Willis ML. Emotion Recognition and Traumatic Brain Injury: a Systematic Review and Meta-Analysis. Neuropsychol Rev 2021;32(3):520-536.(系統的レビューおよびメタ解析、15研究、患者群 N=474・対照群 N=461、Hedges' g=0.79。PMID 34131885 / DOI)
- Ferreira BLC, Fabrício DM, Chagas MHN. Are facial emotion recognition tasks adequate for assessing social cognition in older people? A review of the literature. Arch Gerontol Geriatr 2020;92:104277.(系統的レビュー、27研究。PMID 33091714 / DOI)
- Henry JD, Phillips LH, Crawford JR, Ietswaart M, Summers F. Theory of mind following traumatic brain injury: the role of emotion recognition and executive dysfunction. Neuropsychologia 2006;44(10):1623-8.(比較研究、外傷性脳損傷16例・対照17例。PMID 16643969 / DOI)